信州Well-being有識者対談インタビュー Vol.8 林 勇次さん
今回対談するのはInternational School of Nagano代表栗林と、信州松本うらまちレジリエンス・プロジェクト会長・株式会社松本マツダオート代表取締役 林 勇次さんです。
栗林:
林さんがどのようなことをされているのか教えていただけますか?
林さん:
は昔の話にはなりますが、私の父は高校中退して自動車整備会社に入りました。
当時の父が入っていた会社はどんぶり経営で立ち行かなくなっていたんです。
ですがお店に来るお客さんは車の故障などに困ってお店に来続けていたので、
20歳の時に整備業で独立。そんな父の姿を小さい頃から見ていました。
私自身は東京での就職が決まっていましたが、父のアドバイスで知り合いの自動車販売店に就職しまして、その後父の会社を継ぎました。
父の自動車販売を受け継いだからにはもっと続くようにしたい!
という事で今はマツダの販売店になっています。
車を通して何ができるかというのが大事にしていて、車を整備するだけではお客様は幸せは実感できません。僕らのテーマは、“車と共にある生活と潤い”整備だけではなくこんなことやったらもっと面白いですよ!とか、アウトドアなど、車を通して何ができるのかをお手伝いしたり提供したりしていくみたいなことをこれからやっていきたいと思っています。
本業とは別に、松本城東側の通りのうらまちの活性化に取り組む「信州うらまちレジリエンス協議会」の会長としても活動をしています。
栗林:
ありがとうございます。
長野は豊かな美しい自然に囲まれているので、学校に行く途中の景色でもいつも圧倒されます。
整備などの当たり前のことだけでなく、その先を考えているテーマが素敵だと思いました。
林さんは、なぜ本業とは別に裏町の取り組みをはじめられたんですか?
林さん:
自分の生まれ育った町なので、町全体を良くしたいという気持ちは常に持っています。
裏町は母方のひいお婆さんの親戚の話では、
幕府が倒れた頃、当時立場が上の人は恨みを買ってることが多く地方に逃げたりしたそうです。男は寺に、娘は大きな商人の家に養女に出したりしていたと聞きました。
私のひいお婆さん達も同じように何人か親戚を連れて松本へ来たそうです。
その時に受け入れてくれたのが現在の裏町の場所でした。
ひいお婆さんは料亭をそこで営んだそうです。
実際私も高校生の頃は裏町の祖父母宅に通っていて、その場所の人情や温かみ、文化が好きでした。
ひいお婆さん達が昔この地域にお世話になったことも理由としてありますし、裏町の場所自体が現在空きビルがたくさんあるので少し工夫したら楽しいことができるんじゃないか、とも思っています。
栗林:
世代を超えて、この裏町で繋がっているんですね。
現在は様々なイベントや特に演劇などを開催されてますよね。
それには何かきっかけがあったんでしょうか?
はい。裏町をどうやって再興していくかを考えている時に高校生時代の同級生で親友の林邦応さんに出会いました。彼は東京で脚本・演出家の活動をしていて、ちょうどコロナ禍で都内の活動がストップしてました。
そんな中、松本で演劇をできる場所を探していたので現在は一緒に演劇を通して裏町の再興の活動をしています。
さらに補助金などを活用して仕組みを組み立てできたのが私たちの活動の「裏町レジリエンス」です。
私は今までJCを卒業してから様々な企画事を任されてやってきたが、自分で企画を一から立ち上げてやったのは初めてでした。
生まれた地域の中で自分のやりたい事を実感しながら、それがすぐに幸せに結び付くかはわからないけど、自分がやってみようと思うことに力を尽くすのはとてもいいことだと思います。
栗林:
素晴らしい活動ですね。
林さんの想いから沢山の方が現在裏町の活動に携わっているのが伝わりました。
また裏町は、本当にこれからいろんな活用の仕方があると思います。
子供達とも今後何か一緒にできるイメージがたくさん湧きました!
本日はありがとうございました。
ー 活動紹介 ー
信州松本うらまちレジリエンス・プロジェクト
https://note.com/uramaticstreet/
裏町が元気になって、裏町に人が戻って、また昔みたいにって話が現実になるように。