信州Well-being有識者対談インタビュー Vol.19


「人を地域を医療からハッピーに」
医療法人LAGOM(ラゴム) ライフクリニック蓼科 理事長 麻植(おえ)ホルム正之さんインタビュー

なぜ医療者になり、なぜ違和感が生まれたのか
栗林:
本日はお時間をお取りいただき、ありがとうございます。
改めて伺いますが、ウェルビーイングは麻植さんにとってどのような意味を持つ概念でしょうか。また、子どもたちの学びや生活環境に対して、どのような期待をお持ちでしょうか。
あわせて、まずはこれまでのご経歴や背景についてお伺いできればと思います。なぜこのテーマに関心を持たれ、この領域でお仕事をされているのか、その原点からお聞かせください。
麻植さん:
私が医師になろうと決めたのは、小学校2年生の頃です。当時は明確な理由があったというよりも、自分の中で自然とそう定まっていた感覚に近いものでした。
家庭環境としては、母は看護師として医療に携わっておりましたが、父は必ずしも医療分野の出身ではありませんでした。ただ、周囲には医師や医療関係者が多く、非常に人柄の良い方々に囲まれていたことが大きな影響となり、まず「人」への信頼や魅力から医療という世界に入っていったという経緯があります。
そのため、特別に強い問題意識や戦略的な動機があったというよりも、自然な流れの中で医療者になる道を選び、そのまま進んできたというのが実感に近いです。
大学に進学し国家試験に合格した後も、医局制度の中で各地へ派遣されながら経験を積む形で、当初は明確な理念というよりも、目の前の役割をこなしていく日々が続いていました。
そのような中でも、現場で強く感じていたのは「感謝されること」の大きさです。「ありがとう」という言葉を日々いただくことが、仕事を継続する大きな支えになっていました。医師としての初期の段階においては、その実感が原動力になっていたと思います。
一方で、医師としてのキャリアが進むにつれ、「医師という職業を続けること」と「医師として何を実現するのか」という問いの間に、徐々に違いが生まれていきました。目的が明確でなければ継続が難しい職業であるという認識も、その過程で強くなっていきました。
そうした転機の一つが、父のがんの診断でした。当時、父が病に倒れたことをきっかけに、医療というものを患者家族の立場から見つめ直す機会が生まれました。ちょうどキャリアとしても約10年が経過した時期でもありました。
麻植さん:
その背景には、父がスウェーデンにルーツを持ち、母が日本人であるという家庭環境も関係していると思います。比較的自由な価値観に触れてきたこともあり、日本の医療制度に対して、以前から一定の窮屈さのようなものを感じていました。
実際に父ががんを患った際には、家族として医療機関を回り、セカンドオピニオンやサードオピニオンを受ける中で、医療現場の対応に冷たさを感じる場面もありました。また、保険医療制度の構造的な限界についても強く実感することになりました。
現状の医療は、保険診療の枠組みの中で提供できる内容が限定されており、ガイドラインに沿った対応が中心となります。その結果として、患者側の希望や個別性に十分に応えきれない構造になっている側面があります。医療者主導のトップダウン的な意思決定になりやすいという印象も持ちました。
そうした状況を目の当たりにし、このまま同じ枠組みの中で医療を続けていくことに対して強い違和感を抱いたことが大きな転機となりました。
特に父の病状が末期であり、余命としても限られた時間であると告げられていた中で、その時間をどのような医療環境の中で過ごすのかという点は、個人的にも非常に大きな問いでした。
この経験を通じて、「医師として働くこと」ではなく、「医師として何を実現するのか」という視点へと問いが変化しました。その中で行き着いたのが、予防医療という領域です。
さらに言えば、疾患の発症後の対応ではなく、それ以前の状態、すなわち人の生活全体や環境を含めた健康のあり方そのものに関心が移っていきました。
ウェルビーイングという概念も、その延長線上にあります。私の理解としては、生きていることそのものがウェルビーイングであるという考え方に近いものです。
医療はその一部に過ぎず、個人の健康は医療機関の中だけで完結するものではありません。例えば、畑や田んぼといった自然環境、土壌、空気、水、川といった自然資源に加え、道路や行政といった社会インフラも含めて、総体として健康を支えていると捉えています。
そのため、病院の中で患者を待つという従来型のスタイルではなく、地域そのものに関与しながら健康を捉え直していく必要があると考えるようになりました。
「人を、地域を、医療からハッピーにする」というミッションは、そうした考え方から生まれたものです。


ウェルビーイングの定義拡張(アンチエイジング・環境・文化)
栗林:
では続いて、ウェルビーイングという言葉の価値観についてお伺いできますでしょうか。
麻植さん:
はい。例えばアンチエイジングという考え方は、どちらかというと「老いに抗う」という構造になります。
つまり、年齢を重ねること自体がネガティブなものとして捉えられやすい側面があります。
しかし時間というものは、誰にとっても平等に流れています。
一方で、“老いの形”は人それぞれ異なり、病気になる方もいれば、そうでない方もいます。
そこにはそれぞれの価値観があり、本来ウェルビーイングとは、その人らしく年齢を重ねていくというあり方に近いものだと考えています。
つまり、どのように歳を重ねるかは自由でありながら、その人らしく健やかであることが重要だという考え方です。その意味で申し上げると、アンチエイジングよりもウェルビーイングの方が、はるかに広い概念であると捉えています。
また、「環境に優しい」「地球に優しい」といった表現にも、やや違和感を覚えています。
人間が自ら環境に負荷をかけている側面がある中で、それを“優しくする”という表現には、どこか構造的な不自然さがあります。
むしろ必要なのは、自分たちの行為に対する自覚だと思います。
本来は「人に優しい」という視点の方が、より実感に即しているのではないでしょうか。
人間はこの地球において生物の頂点に位置している以上、自らの行為に対して責任を持つ必要があります。「地球に優しく」という発想よりも、「自分たちに優しくする」という感覚の方が、結果として環境にも良い影響をもたらすのではないかと考えています。
貢献や奉仕それ自体は非常に尊いものですが、それが目的化すると「やらなければならないこと」になってしまいます。
まずは自分自身の意識を整えることが先にあるべきだと考えています。
栗林:
貢献や奉仕は重要な行為ではありますが、それが目的化すると義務のようになってしまうということですね。
まずは自分自身の意識を整えることが起点にあるべきだという理解でよろしいでしょうか。
麻植さん:
その通りです。また私は「お互い様」という言葉を非常に大切にしています。
人間は空気がなければ生きていくことができません。
例えば、人が口をつけたものは飲めないと感じる方は多い一方で、空気は常に共有しています。
酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出し、他者が吐いた空気を吸って生きているという構造です。
つまり人間は、すでに他者と交換しながら生きている存在です。
そのように捉えると、「お互い様」という感覚は自然に立ち上がってくるものだと思います。
この感覚があれば、人はもう少し穏やかに、他者に対して寛容になれるのではないかと考えています。
自分という存在に意識が過度に集中すると、どうしても視野に偏りが生じます。
私たちは共同体として生きている以上、「おかげさま」という感覚も非常に重要だと考えています。
栗林:
なるほど、その考え方が現在のお仕事や実践にもどのように反映されているのか、という点につながっていくわけですね。また、子どもたちという存在は文化形成の段階にあり、今後いかようにも影響を受け得る存在であると。
私自身の関心としては、海外に滞在した経験を通じて、受け入れられる容量のようなものが明らかに拡張したと感じています。
さらにその拡張が継続していくような仕組みのようなものも実感として得ました。
その観点から伺いたいのですが、こうした違いはなぜ生まれるのでしょうか。
また、子どもたちに対して期待されるウェルビーイングの捉え方についてもお聞かせください。
麻植さん:
そうですね。
現代においては、食品をはじめあらゆるものが地球規模で流通する時代になっています。
その一方で、まず大切にすべきはローカルだと考えています。
自分の足元、つまり身近な環境を整えることが出発点になります。
例えばこの庭一つをとっても同じで、まずは自分の足元を丁寧に整えることが重要です。
とにかく基点は足元にあります。
そのうえで徐々に視野を広げていくという順序が望ましいと考えています。
大きな目標を持つこと自体は重要ですが、それ以上に基礎となる部分を整えることが不可欠です。
子どもたちがこの場所を訪れた際に、花を見て
「今年もジューンベリーが実った」
「チューリップの芽が出た」
と感じられること自体が、実は非常に貴重な体験です。
それは決して当たり前のことではありません。
環境が損なわれれば、雨が降ることすら当然ではなくなります。
この地域は平野部では降雨や降雪が少ない一方で、山間部でしっかりと雪が降ることで水系が維持されています。
特に長野県・蓼科は標高約1000メートルに位置し、気候も安定しており、赤ちゃんの胎内環境に近いとも言われるほど、非常に守られた環境です。
そこには土地があり、水があり、空気がある。
人が生活するうえで極めて恵まれた環境だと言えます。
しかしながら、子どもや若い世代はこの環境を見て「何もない」と感じることがあります。
しかし実際には十分すぎるほどの価値が存在しており、それを認識できていないだけです。
その「見え方」を持てるかどうかが重要です。
仏教でいう「足るを知る」という感覚に近いものです。
この視点を持てるかどうかは、人生の充足感に大きく影響します。
「あれがない」「これがない」と不足に意識が向くと、認知そのものが偏ってしまいます。
ウェルビーイングの議論においても、身体的健康だけではなく、「足りない」ではなく「すでに足りている」という認識、すなわち精神的な充足感が重要であると考えています。
栗林:
お話を伺っていて、「すでにあるものをどれだけ認識できるか」という点が本質なのではないかと感じました。私自身もイギリスやモロッコに滞在した経験を通じて、物事の到達速度や人の対応など、日本との違いを実感しました。
ボランティアとして物資支援に関わった経験もありますが、日本の生活水準の高さも改めて認識しました。
ただ、こうした実感は現地に行かなければ得られないものであり、書籍や映像だけでは限界があるとも感じています。
もしかすると、もともと異文化にアクセスしやすい環境にいらっしゃったのかもしれませんね。
麻植さん:
私自身も父のルーツがスウェーデンにあることから、似たような経験があります。
子どもの頃、スウェーデンでサマースクールに参加していました。
栗林:
なぜそのサマースクールは当初、あまり好ましく感じられなかったのでしょうか。
麻植さん:
理由としては、夏休みに再び学習をする必要があったためです(笑)。
スウェーデンの学校制度のもとで、親のいずれかがスウェーデン出身であることを条件に、休暇期間中に滞在しながら学ぶ形式でした。
当初は負担に感じていましたが、次第に参加者がシンガポール、南アフリカ、オマーンなど多様な国へと広がり、環境が変化していきました。
いわゆる黄色人種だけではなく、さまざまな背景を持つ子どもたちが集まる場となりました。言語もスウェーデン語、英語が混在し、アメリカ人も含まれていました。
そのような環境の中で異なる言語を用いてコミュニケーションを取ることで、日本語で話している自分とは異なる自己認識が生まれました。いわば、自分の中に複数のモードがあるような感覚です。
言語は単なるコミュニケーション手段ではなく、自分自身や他者を深く理解するためのツールであると捉えています。
不完全な言語であるからこそ、より理解しようとする姿勢が生まれます。
その過程そのものが、後になって非常に楽しい経験へと変わっていきました。また、子どもの頃の「人とつながりたい」という純粋な欲求や、友人関係を築くこと自体の楽しさも基盤にあったと思います。
好奇心も徐々に育まれていきました。
しかし、こうした経験がなければ、家庭内だけでは世界の広がりを得ることは難しい側面もあります。
結局のところ、言語とは相手を知るための手段であり、文化や価値観といったより深い領域へアクセスするための道具であると考えています。
子ども・社会・循環・未来への実装
栗林:
そういった子どもたちご自身の幼少期の体験を踏まえたお話、そして先ほどの「すでにあるものをどれだけ意識し、感謝できるか」という視点、さらにはコネクションやリンクを通じて「人として生きていく上で共有されているものがこれほどある」という感覚が、ウェルビーイングの重要な要素なのではないかと感じながら伺っていました。
その上で、子どもたちに期待する学びや生活環境について、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
麻植さん:
大人としての基本は、まず感謝の姿勢だと思います。これは間違いなく重要ですし、同時に他者への尊敬の念、つまりリスペクトを持つことです。
人は一人では生きていません。その意味で、感謝と敬意は不可分のものだと考えています。
さらにもう一つ大切なのは、謝ることができるということです。
例えば、何気なくゴミを落としてしまったときに、「申し訳ないことをした」と自然に思える感覚です。誰に対してという明確な対象がなくても、そうした内的な振る舞いは非常に重要だと考えています。
栗林:
その「謝る」という点についてですが、その前提として、自分の行動や思考を一度振り返り、「これは適切ではなかった」と正直に受け止めるプロセスが必要だと思います。そこで良し悪しで自分を裁くのではなく、冷静に受け止めることができれば、過剰なプライドや言い訳は生まれにくくなる。
むしろ、自分に対して誠実であることが、結果として謝罪や修正につながるのではないかと感じています。
麻植さん:
内向的な子どもであれば、問題行動をしてしまっても内側で抱え込んでしまう傾向があります。
一方で、きちんと受け止めてもらえる環境で育った子どもは、外に表現することができると思います。
「あ、失敗した」と思ったときに、「ごめんなさい」と自然に言えるかどうか。その違いは大きいと感じます。
栗林:
その反射的に謝れる状態というのは、すでにセカンドネイチャーになっているからこそ可能であり、そこに至るまでのプロセスが重要なのだと思います。
ただ、その途中段階にいる子どもや大人も多く存在します。突き詰めれば、自分自身をどれだけ信頼できているかという問題でもあると感じています。
それは個人の内的な課題であると同時に、周囲の環境によっても支えられるものだと思います。
麻植さん:
「適切な環境と適切な人々」という言葉がありますが、まさにその通りだと思います。
建物や仕組みといった構造的な環境が整っていること、そしてそこにいる人々が適切であること。この両方が揃うことが非常に重要です。
栗林:
いわばフレームワークのような前提条件ですね。
麻植さん:
私は特別なことを言っているわけではなく、先人たちが積み重ねてきた知恵を、少しずつ丁寧に実現しているだけだと思っています。
人生100年とすれば、私はすでに折り返し地点を過ぎているかもしれません。その意味で、未来は子どもたちに託していく領域だと考えています。だからこそ、愛情、尊敬、挨拶、感謝、謝罪といった基本的な姿勢が自然に表現できる人間であってほしいと思います。
それが備わっていれば、ウェルビーイングは精神的にも身体的にも十分に成立するのではないでしょうか。
栗林:
おっしゃる通りだと思います。その上で、「あなたは何者なのか」という個のユニークさを発揮していくことが重要ですね。
すべては循環の中にあるのだと思います。
麻植さん:
国連やSDGsといったものも、当初はそこまで意識していなかったのですが、結果として自分たちの考えている循環の概念と非常に近いと感じるようになりました。良い理念だと思い、バッジも付けるようになりました。
栗林:
私たちも同じような経験があります。気がついたら「バッジはどこにいっただろう」とか「プログラムはどうなっているのか」と思うこともあります。
麻植さん:
ISOのように形式化されるとビジネス的になりますが、SDGsはより広い概念として循環型社会を分かりやすく提示していると感じています。
栗林:
非常に特徴的な視点で医療を実践されている印象です。場所的にも、そして方向性としても一貫していらっしゃる。本も執筆されていると伺っています。
麻植さん:
10周年に向けて当院のコンセプトや想いが詰まったギフトとして本を執筆しています。
栗林:
それ自体が非常に強いコンテクストであり、信頼性の高いストーリーだと思います。そのフェーズで取り組まれているということですね。本日はありがとうございました。
麻植さん:
ありがとうございました。

